私のピアノのモノローグ 第3話(全5話)
私はピアノ。
今回は 実際に私に歌を歌わせてくれる
「ショウコちゃん」とのお話です。
ショウコちゃんはその時7歳だったかな・・・
はっきりいってあまり練習しない子どもでした。
練習は好きではないけれど 自分で好き勝手に弾くのは好き。
適当に弾いたら はいおわり。
そんな日が多かったかな。
そうそう、何回かメトロノームをピアノのフタの部分に落とされました。
かなり痛くて、傷になってしまいましたが、
何より落とした本人がかなりのショックを受けていたのを覚えています。
それなりに(笑)大事にされているのだとわかりました。
それから、ペダルを好き勝手に踏んでいました。
ペダルを踏むような曲じゃなかったと思うけど・・・
バイエル、ブルグミュラー、・・・ソナチネに入ったところで小学生が終わり。
中学生に入るのを期に ピアノのレッスンは終わってしまいました。
それと同時に、私の役目も終わったんだなと思っていました。
だけど、その6年後。
突然に私が大活躍するときがやってきたのです。
彼女は単位をとったら幼稚園の先生の免許がもらえる短大に通い始めたのです。
ピアノの単位は必須。
今までにないくらい彼女は練習をしましたし、何より楽しそうでした。
2年の練習で ソナチネが終わり、ソナタに入ったところで短大を卒業でした。
加えて童謡や唱歌もたくさん弾けるようになっていました。
それに、洋楽にハマった彼女は
ホイットニーヒューストンの曲、バラードを中心に 私を歌わせてくれました。
他のアーティストも好きだったようですが、楽譜があまり手に入らなかったようです。
20代半ばにはジャズも聞くようになり
まさか この私が スタンダードジャズなどを 歌ことになろうとは!
彼女の音楽の歴史の中には 私がいます。
CD、ラジオ、テレビと同じレベルで
彼女に必要とされました。
あの頃は私の黄金期とも言えるでしょう。
そんな、なんてことない、ピアノのある家の風景です。
でも私の人生は、お金のない30代前半の夫婦に買われたことから始まっています。
私を買うことで、どんな希望を持ってくれていたか知っています。
慎ましい生活をしている両親に、短大まで通わせてもらって、
好きな時にピアノが弾ける幸せ。
ショウコちゃん。
・・・当時の両親の気持ち・・・
・・・私がここにいる理由を・・・
ちゃんと感じてくれてるかな。
当たり前すぎてしまってないかな。
そんな私の思いも知らずに、
彼女は28歳の時に、単身仙台に引っ越して行きました。
さようなら、ショウコちゃん。
私がいるの、当たり前すぎて、挨拶もなしに行っちゃったね。
今度はいつ歌わせてくれる?
その後は私の居場所も転々と、
和室からリビングなどいろいろでしたが、
誰も昔のようには歌わせてくれませんでした。
つづく